携帯テキストが改行を多用する理由の理由

物語自体とは直接関係ないけど。

携帯テキストには改行が多い。「読みやすくするため」と言われている。確かに、普通の文章と同じ頻度で改行を入れると、文字がビッシリと画面を埋め尽くして読みづらい。改行を入れるのはそれに対処するためと言われる。

この間「恋空」の書籍版を本屋で見かけたが、こちらのバージョンでは改行は全部とっぱらわれていた。つまり改行は携帯で読むのに最適化するための処理で、書籍なら改行が無くても文字が紙面をビッシリ埋め尽くしたりしないので必要無い、という事になるが…
そもそも、じゃあなぜ改行が無いとビッシリになるのか。

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QVGAサイズで16ピクセルのフォントをベタ打ち

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T-Timeによるレンダリング

見ての通り、別に画面が小さいからといって改行を入れないと必ずビッシリになるという訳ではない。もちろん、例で使った「我が輩は猫である」は小型画面用の最適化なんてされてないので、どれだけ工夫しても最初から携帯を前提として書かれたテキストよりは可読性は劣るだろうけど、ちゃんと余白を制御してやればそこまで読みづらいものではないと思う。

日本の携帯は日本語の使用を前提とし、なおかつモノクロ液晶の時代からずっと建増しで進化してきた(はずな)ので、タイポグラフィの概念が全く発達していない。最近は字形こそ高解像度にアンチエイリアスで奇麗だが、幅は全て等幅でプロポーショナルフォントは使用できないし、余白はトラッキングも行間も制御できない。

日本の携帯のOSはタイポグラフィに注意を払う事はこの先も当分無いだろうけど、この程度ならFlash Liteでもツールが作れそうな気はする。
もう作ってる人いる?

「恋空」「最愛の君へ。」読了

一週間前に「恋空」を読み終わり、続いてモバゲーの小説大賞受賞作「最愛の君へ。」を読む。「恋空」の半分程の量なのであっさり読み終わる。多分いないと思うけどネタバレ注意。

「恋空」

  • 一応張った伏線は殆ど回収しており、当初想像していたほどシッチャカメッチャカな展開ではなかった。出したっきり忘れられてるキャラは数人いるが。
  • 最初の100ページ程はなかなかキツかったが、作者自身が書くのに慣れてきたのか、序盤にあったような「いきなりレイプされる」だの「数ページでいきなり精神を病んで入院して自殺未遂」だのといった超展開はなりを潜めた。
  • 場面によって描写の細かさやリアリティにムラがある。「事実を元にしたフィクション」という事になっているので、描写が詳しい所は作者が似た事を実体験しており、荒い所は想像で書いているのだろう。

「最愛の君へ。」

  • 「恋空」と違って物語と現実を混ぜようとする意図が無いためか、主人公の設定は前者に比べると非現実的。流石に高校生がBMW乗り回すのは無理がある。
  • 基本的に一人称なのは携帯小説のデフォルトのようだが、主人公以外の人物の描写をするために視点が断り無く別の人に変わる事がある。もちろん普通の小説でも主観視点を乗り換えていく事はあるのだが、これは別に叙述トリックがあるわけでもなく、なんだか仕方無くやってるような感じがする。また、他に描写のしようが無い時だけ急に三人称に変わる事もある。
  • 意識してかは知らないが、ページの区切りの間で、携帯特有の通信にかかる時間を考慮してるように思えた。

いずれの作品もそうだが、文章に漫画の影響が強く見える。モノローグは漫画でコマの外に書いてあったらすんなりはまりそうな文章だし、音が鳴るような場面で事柄を描写するのではなく擬音をそのまま書いてしまうのも、漫画を真似ていると考えれば納得が行く。逆に日本の漫画のお約束や文法を知らない人はまずそっちから把握しないと読めないかも。

どちらの作品も、主人公と恋人が周囲の邪魔やらモトカノの妬みやらに耐えながら愛を貫き、最後に片方が死ぬという筋。
とはいえ、元々恋愛ものは携帯小説でなくても人気を集めやすいし、かつ今回読んだのは最小公倍数的な人気を集めてる作品だと思うので、もう少し狭く深い支持を集める作品には違うジャンルのもあるのかもしれない。実際にあるのかはそこまで詳しくまだ見ていないので分からないが。

「恋空」100ページほど読んで

さすがにちょっとクラクラしてきた(笑)
具体的には、レイプ・精神を病む・自殺未遂・退学等に関する描写が唐突すぎて、物語を楽しむよりも違和感が先に来てしまう。

ただ、無理矢理だけど説明をつけるなら、これは”suspension of disbelief(不信の一時的停止)”が働く箇所・働かない箇所が違うだけで、やってる事は他のフィクションとそこまで変わらないのかな、と思った。

suspension of disbeliefというのは、「不信の一時的停止」「疑いの停止」「自発的な不信の一時的保留・停止」と色々訳されているものの、うまい日本語訳が無い言葉で、人は物語を楽しむためなら(暗黙のうちに)ありえない事柄に疑いを挟まないようにする、という概念。例えばマリオが身長の数倍もの高さまでジャンプできても非現実的だとケチをつける人は少ないし、ジェームズ・ボンドが透明な車に乗ってもそれで物語が楽しめなくなると文句を言う人も少ない。それはそれぞれ、「人はせいぜい数十cmくらいしかジャンプできない」「車が透明になったりはしない」という事柄に対する違和感を無意識のうちに押さえ込んでいるからだ。

ただ、何に対してどれだけ違和感を押さえ込めるかというのは、話の展開、また見ている人によって異なる。「マトリックス」で主人公達が重力を無視したアクロバティックな動きができるのは「マトリックスの仮想世界を超越しているから」という説明が本編内でなされているから信じやすいが、同じ事をラブコメ映画でやったら異様以外の何物でもない。また、SF映画にあるような、何かする度にピコピコ音が鳴るような派手なコンピューターの描写は、コンピューターに疎い人には見過ごされるかもしれないが、コンピューターにまつわる職業の人なら苦笑してしまうだろう。

「恋空」における描写、およびそれが受け入れられている事に説明をつけるなら、その不信の一時的停止の対象範囲が自分とは異なるという事なんだろう。実際、2chでも電車男痴漢男新ジャンル系などなど、広く支持を集める物語は沢山生まれているが(そして個人的にはこっちの方がすんなりと読めるが)、これらにしても現実と照らし合わせたら明らかにおかしい箇所は山ほどある。そのおかしい箇所に対して感じる違和感が邪魔をしてこれらの物語を楽しめないという人もいるだろう。ぶっちゃけた話、それを指摘して騒ぐのは「野暮」なわけだが、だとしたら携帯小説のリアリティの不備を指摘して騒ぐのも、やっぱり「野暮」という事になるのだろう。

まあ、当初「恋空」はノンフィクションという触れ込みでアピールしていた、というのは流石に言い訳できないけど…

「恋空」を読み始めてみる

ケータイ小説とはなんぞや、とばかりに、とりあえず有名どころの「恋空」を読み始めてみる。一応魔法のiらんどはPCからのアクセスを蹴らないんだね。

しかし、「リアル鬼ごっこ」が騒がれてた時に見た壊滅的に破綻した文章を想像して身構えてたが、そこまで言語が崩壊してなくて肩すかしをくらった。アレー?思ったより読めなくないじゃん。そのままPCで数ページ読み進めてみたが、2時も過ぎてるので続きは明日、本来想定されたフォーマットである携帯からでも読んでみる事にする。

まだ11ページまでしか見てないので暫定的な感想だけど、全体的に、映像に例えるなら、被写界深度の浅いレンズで、画面の枠の中で最も注目してほしい事柄だけを写してあるように感じる。背景の描写が極限まで削られており、骨組みだけになっているので、(存在していると思われる)いくつかの前提のお約束を把握しないうちは難しそう。けど2chやニコニコに書き込まれる文章にしても「wwww」「孔明」「死亡フラグ」「(ry」「(AA省略)」などなど、情報量の多いネタを数文字で参照できるショートハンドはあるわけだし、一旦それを理解すれば割とすんなりと読めそうだ。
今の所「文章の中から『誰が行動しているのか』の指定が消えた場合、それは主人公の主観視点の文章である」というルールはあるように思えた。

ちなみに冒頭で極めてウザいキャラクターが出てきて、これは携帯小説とはこういうものだからウザいのか、それとも単にウザいキャラクターとして作者がウザく描写してるだけなのかしばらく判断がつきかねたが、どうやら後者らしいと分かってホッとした。w