Googleの解析とか順位とか

一年半ぶりくらいにblogを書くのを再開してから一ヶ月、トラッキングが止まってたGoogle Analyticsアクセス解析を復活させて一週間ほど。このサイトは現状特にどこかにリンクしてるわけでもないし、アバウトページとか過去作品ページとかまだ作ってないものはいっぱいあるので、とりあえずは気になった事やった事を気ままに書いていっている。でもどうやら数日前の明大のシンポジウムの記事を初音ミク関係のブログからリンクして頂いたようで、20アクセス/日くらいだったのが一時的に200アクセス/日くらいに増えていた。(こんにちは>来られた方々。)なんか一人でやってるサイトのAnalyticsの折れ線グラフは育てゲーみたいで見てて楽しいね。

Googleつながりでもうひとつ、試しに昨日読み終わって記事を書いた「最愛の君へ。」のタイトルでGoogle検索してみたら、事もあろうに6位に出ていた。なーんでー。こんな適当に書いただけの記事がそこまで上位に上がってるのは、携帯ウェブとPCウェブの間の話題の断絶がそこまで大きいって事?それとも初音ミク関係で急にアクセス増えたから釣られてPageRank上がったとか?(つってもそれくらいのアクセスのサイト沢山ありそうだし)Googleの順位の判断基準がよく分からん…。

携帯テキストが改行を多用する理由の理由

物語自体とは直接関係ないけど。

携帯テキストには改行が多い。「読みやすくするため」と言われている。確かに、普通の文章と同じ頻度で改行を入れると、文字がビッシリと画面を埋め尽くして読みづらい。改行を入れるのはそれに対処するためと言われる。

この間「恋空」の書籍版を本屋で見かけたが、こちらのバージョンでは改行は全部とっぱらわれていた。つまり改行は携帯で読むのに最適化するための処理で、書籍なら改行が無くても文字が紙面をビッシリ埋め尽くしたりしないので必要無い、という事になるが…
そもそも、じゃあなぜ改行が無いとビッシリになるのか。

neko-cell.gif
QVGAサイズで16ピクセルのフォントをベタ打ち

neko-ttime2.gif
T-Timeによるレンダリング

見ての通り、別に画面が小さいからといって改行を入れないと必ずビッシリになるという訳ではない。もちろん、例で使った「我が輩は猫である」は小型画面用の最適化なんてされてないので、どれだけ工夫しても最初から携帯を前提として書かれたテキストよりは可読性は劣るだろうけど、ちゃんと余白を制御してやればそこまで読みづらいものではないと思う。

日本の携帯は日本語の使用を前提とし、なおかつモノクロ液晶の時代からずっと建増しで進化してきた(はずな)ので、タイポグラフィの概念が全く発達していない。最近は字形こそ高解像度にアンチエイリアスで奇麗だが、幅は全て等幅でプロポーショナルフォントは使用できないし、余白はトラッキングも行間も制御できない。

日本の携帯のOSはタイポグラフィに注意を払う事はこの先も当分無いだろうけど、この程度ならFlash Liteでもツールが作れそうな気はする。
もう作ってる人いる?

「恋空」「最愛の君へ。」読了

一週間前に「恋空」を読み終わり、続いてモバゲーの小説大賞受賞作「最愛の君へ。」を読む。「恋空」の半分程の量なのであっさり読み終わる。多分いないと思うけどネタバレ注意。

「恋空」

  • 一応張った伏線は殆ど回収しており、当初想像していたほどシッチャカメッチャカな展開ではなかった。出したっきり忘れられてるキャラは数人いるが。
  • 最初の100ページ程はなかなかキツかったが、作者自身が書くのに慣れてきたのか、序盤にあったような「いきなりレイプされる」だの「数ページでいきなり精神を病んで入院して自殺未遂」だのといった超展開はなりを潜めた。
  • 場面によって描写の細かさやリアリティにムラがある。「事実を元にしたフィクション」という事になっているので、描写が詳しい所は作者が似た事を実体験しており、荒い所は想像で書いているのだろう。

「最愛の君へ。」

  • 「恋空」と違って物語と現実を混ぜようとする意図が無いためか、主人公の設定は前者に比べると非現実的。流石に高校生がBMW乗り回すのは無理がある。
  • 基本的に一人称なのは携帯小説のデフォルトのようだが、主人公以外の人物の描写をするために視点が断り無く別の人に変わる事がある。もちろん普通の小説でも主観視点を乗り換えていく事はあるのだが、これは別に叙述トリックがあるわけでもなく、なんだか仕方無くやってるような感じがする。また、他に描写のしようが無い時だけ急に三人称に変わる事もある。
  • 意識してかは知らないが、ページの区切りの間で、携帯特有の通信にかかる時間を考慮してるように思えた。

いずれの作品もそうだが、文章に漫画の影響が強く見える。モノローグは漫画でコマの外に書いてあったらすんなりはまりそうな文章だし、音が鳴るような場面で事柄を描写するのではなく擬音をそのまま書いてしまうのも、漫画を真似ていると考えれば納得が行く。逆に日本の漫画のお約束や文法を知らない人はまずそっちから把握しないと読めないかも。

どちらの作品も、主人公と恋人が周囲の邪魔やらモトカノの妬みやらに耐えながら愛を貫き、最後に片方が死ぬという筋。
とはいえ、元々恋愛ものは携帯小説でなくても人気を集めやすいし、かつ今回読んだのは最小公倍数的な人気を集めてる作品だと思うので、もう少し狭く深い支持を集める作品には違うジャンルのもあるのかもしれない。実際にあるのかはそこまで詳しくまだ見ていないので分からないが。

明治大学大学院新領域創造専攻シンポジウム

日曜、明大でやっていたデジタルコンテンツのシンポジウムを見てきた。参加者は宮下芳明さん(明大講師)、岩井俊雄さん(Electroplankton、TENORI-ON等)、佐々木渉さん(「初音ミク」企画)、武田双雲さん(書道家)、平野友康さん(Digitalstage代表)、水口哲也さん(Rezルミネス元気ロケッツ等)。豪華な顔ぶれ。タイムキープが途中まで忘れられていた関係でアンバランスな進行になってしまっていたけど、それぞれの人の話は面白かった。撮影禁止だったので写真が無くてすまぬ。

岩井俊雄さんの電子楽器TENORI-ONは、Korgに先に似たような外見のもの(Kaoss Pad KP3)を出されちゃったなあと思ってたけど、実際に動いてる所を見て設計思想を聞くと全然別物だという事を把握できた(TENORI-ONは両手持ちを前提としていて、客側からも見えるように裏面も光る)。プレゼンでは開発過程を紹介していたけれど、やっぱり「機能する」という所から「製品として売れる」というレベルまで持っていくのは話を聞いただけでもすげー大変そう。安全性試験も必要だし、本体の製造過程でもロボットで表面を研磨したりと大掛かりな設備も必要だし。

一つ気になったのは、最初のライブ演奏で7拍子に聞こえる曲を演奏していた所。TENORI-ONは16×16個縦横に並んだLEDを操作するから、4・8・16拍子を前提としているように思えるんだけど、どうやってるんだろう?

佐々木渉さんは…正直話が長かったけどw(サンプリングという概念や音声合成の説明も含めて、実に時間の半分以上を喋り切る!w)、VOCALOIDシリーズというプロダクトに対する考え方が興味深かった。初音ミクに身長や体重といったプロフィールが設計されているのも、適当な数字というわけでもなく、声質からおおまかに逆算してつけているという。将来的に音声合成が気道や声帯のモデリングによってされるようにでもなって、それこそ声に影響するパラメータとして身長がいじれるようになるかもしれない、というのは面白い。

ただ気のせいかもしれないけど、会場で佐々木さんが動かしていたVOCALOID新作「鏡音リン」の声が、(一応ニコニコ動画で初音ミクの声は散々耳にしたつもりなんだけども)言われるまで初音ミクと違う声だという事に気付けなかった。その時の「VOCALOID新作は一人の声優による二種類の声が入る」という発言は、翌日「鏡音リン・レン」という形で明らかになったけど、ちゃんと聞き分けられるものになっているか少し気になる。まあ少しだけしか聞いてないので、多分いざ出てみたら全然違う声でしたってオチだろうと思うけど。

この他、武田さんが超特急で語った書道と新しいメディアとの連携の話、平野さんが語ったDigitalstageのソフトウェアの開発思想(「っていうか大企業嫌い!」発言は共感すると共に笑ったw)、また水口さんが語ったスピード感の重要性など、色々刺激的な話を聞けた。全体を通しては、「構造が美しいものはひっくり返したり変換したりしても美しい」、「ただ内なるものを放出した作品を作るだけではなく『ツールやプラットフォーム』を作る」、という言葉が特に印象に残った。頭の隅に置いておきたい。